あなたが落ちるのは地獄レベル6の焦熱地獄(しょうねつかんじごく)にある赤銅弥泥魚旋処(しゃくどうみでいぎょせんしょ)という場所です。
地獄レベル | 地獄の種類 |
1 | 等活(とうかつ)地獄 |
2 | 黒縄(こくじょう)地獄 |
3 | 衆合(しゅうごう)地獄 |
4 | 叫喚(きょうかん)地獄 |
5 | 大叫喚(だいきょうかん)地獄 |
6 | 焦熱(しょうねつ)地獄 ←ココ |
7 | 大焦熱(だいしょうねつ)地獄 |
8 | 無間(むげん)地獄 |
焦熱地獄の周りには複数の小さな地獄が広がっていて、その中の1つがあなたが落ちる赤銅弥泥魚旋処になります。
焦熱地獄の赤銅弥泥魚旋処に落ちるのはこんな人

焦熱地獄の赤銅弥泥魚旋処は、「世の中の出来事は全て運命で決められているから、頑張っても意味ねーわ」と人に言いふらした者が落ちる地獄です。

金持ちの家の子供は、良い教育を受けてエリートになれる。結局、誰の子に生まれるかでその人物の一生は決まる。逆に俺みたいな貧しい家庭で生まれた人間は、何をしても報われず苦しいまま一生を終える。これは運命なのだから、俺が頑張ってももはや意味はないし、テキトーに生きれればいいわ。
みたいな発想をしている人が落ちる地獄です。
仏教では、世の全てものには因果関係があって、世の全てのものは常に変化していると考えます。例えばあなたがクシャミをしたら、日本の裏側にいるブラジル人が実はつられてクシャミをしているかもしれない・・・こう考えます。
そして、世の全てのものは常に変化します。なぜなら、どんなことが起こっても少なくとも時の流れを止めることはできないからです。
こう考えると、仏教では「すでに定められた運命」なんてものは存在しません。それなのに、「どうせ運命だから、努力しても無駄だわ」と自暴自棄になることを仏教は許しません。世の中は常に変化し、自分の行いは常に他の何かに影響を与え続ける(逆も然り!)のですから、運命は自分(あるいは他人)の力によって変えることができる・・・と仏教では考えます。
赤銅弥泥魚旋処はこんなところ
赤銅弥泥魚旋処に落ちた者は、まず全身の穴という穴から猛毒を持った虫が体内に侵入し、体内から体を蝕みます。全身に激痛が走り、意識は朦朧となり、体の自由はほとんど奪われてしまいます。
赤銅弥泥魚旋処には、ドロドロに溶けた銅の広大な海が広がっていて、そこにはピラニアより鋭い歯を持った無数の魚(弥泥魚と呼ばれている)が住んでいます。弥泥魚は、死にかけている罪人を捕らえてその体を食いちぎります。
しかし、弥泥魚は簡単に罪人を食べてしまうことはしません。一口に食べてしまっては、拷問にならないからです。まずはジワジワと体の半分を食いちぎり、残り半分の体を銅の海に引きずり込み、熱さで泣き叫ぶ罪人を声を聞きながら、弥泥魚は体のもう半分を味わいます。
鬼によって死ねない体にされている罪人は、ボロボロの体のまま灼熱の銅の海に沈みますが、体が底に沈むと鬼が海をかき混ぜます。すると体は再び浮上し、拷問が再開されます。これをほとんど永遠の時間繰り返すことになります。
・赤銅弥泥魚旋処は、「人生はすでに運命によって定められているから、努力しても意味がない」と人に言いふらした者が落ちる地獄
・赤銅弥泥魚旋処では、弥泥魚という鬼畜魚と灼熱の海によってほとんど永遠の間、苦しみを受け続けることになる。
赤銅弥泥魚旋処で一つ気をつけたいのは、「運命によって自分の人生は決まっているから、頑張っても意味がない」と思うこと自体は許されているということです。あくまでそのような考え方を他人に広めた者が地獄に落ちる対象です。
仏教というのは非常に寛容な宗教で、思うだけなら仏教の思想に反することでも許されます。というわけで、「頑張っても意味がない」と心の中で思っていても、それをむやみやたらに言いふらすのは控えましょう。
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